川崎平右衛門プロジェクト 武蔵野新田開発に学ぶ
川崎平右衛門プロジェクト
川崎平右衛門の時代
 徳川300年とよく言われるが、正確には1603年~1867年(大政奉還)までの264年であり、そのちょうど中間の年1735年は川崎平右衛門42歳、その上司町奉行大岡越前守59歳、15代続いた将軍家も真ん中の8代徳川吉宗52歳の働き盛りであった。この時の幕府財政は、家康、秀忠と二代続いた堅実型が残した財産を祖父、父も将軍であった家光がおしみなく使い、さらに5代綱吉が神社、仏閣の建築、修理、「動物愛護」に乱費し、正に「元禄バブル」を呈し、元禄末期にはあの東日本大震災と同じ規模といわれる宝永大地震が起こり、その上富士山までが 噴火し、財政は、まさに現在の様に破綻にひんしていた。ここに徳川紀州家四男として生まれた吉宗が将軍として立ち、この危機を突破すべく、増 収、経費削減、人材登用を打ち出し、平右衛門、大岡が登場した。  
(塚田善久)