合唱構成劇 武蔵野をひらいた川崎平右衛門
「武蔵野のうたが聞こえる」
2014年9月11日〜15日
於:現代座ホール
きずなのふるさと武蔵野
NPO現代座 脚本演出担当
木村 快
劇場のお芝居は舞台に登場する人物の肉声を通して、観客の心に共に生きる世界を共鳴させる芸能です。文字で綴られた文学やテレビ映像とは全く違い、現実に観客と出会った瞬間の劇場でしか成り立たない、極めて社会性の強い芸能です。そのため、現代では取り残されつつある前近代的な芸能だとも言われています。
 人が集まる習慣を失い、個人個人がテレビやネットで一方的につくられたおトク情報を頼りにする時代です。協同の労力と多大な資金を必要とする芝居は成り立たなくなりました。公共ホールも残響率の高い音楽用に設計された多目的ホールとなり、肉声を共鳴させる劇場はありません。芝居の伝統を受け継ぐ俳優や技術者も殆どいなくなりました。今や芝居はまさに絶滅危惧種芸能です。
 シニアSOHO小金井の大橋さんから「心の街おこし」の一助として「川崎平右衛門を知ってもらう芝居はつくれないだろうか」と相談されたとき、出来ることならやってみたいと思いました。平右衛門という江戸時代の人物を現代人の感覚に訴えることは容易ではないけれど、地域の人々が劇場に身を寄せあって武蔵野の歴史を感じあうだけでも素晴らしいことです。絶滅する芝居世界に生きる職人の最後の仕事として地元の人々と一緒に努力してみようと思いました。
 川崎平右衛門プロジェクトが生まれ、木野主計先生の協力で江戸古文書の解読や史蹟跡の実地調査をすすめ、勉強会を重ねながら四年間を過ごしました。そのうち、江戸幕府がさじを投げ、挫折しかかった武蔵野新田に、あるときなぜか人の絆がよみがえり、武蔵野に生きる人々の立ち上がる姿が少しずつ見えてきました。遠くから「武蔵野の歌」が聞こえてくるようでした。  武蔵野の歴史は打ちひしがれた農民たちが助け合いのよろこびに目覚め、新田開発の主人公となった大変珍しい歴史です。それは現代のわたしたちが立ち返る原点でもあります。
 平右衛門は幕府の要請を受け、支配役人に代わって、農民の中に眠る協同の力を育てたリーダーでした。  劇場にお集まりの皆さん、シニアSOHOの皆さん、サポーターの皆さん、無償で上演に協力してくださった俳優やスタッフの皆さん、心から感謝します。ありがとうございました。

 

新しい街おこしの広がりを
NPO法人シニアSOHO小金井
相談役(前代表理事)
大橋元明
この度の演劇上演は多くの方々が参加した協働とご支援の賜です。現代座、シニアSOHO小金井、川崎平右衛門プロジェクト、上演サポーター、およびご来場の皆様に感謝申し上げます。
 江戸時代中期、宝永大地震、富士山大噴火など相次ぐ自然災害と放漫財政によって破綻寸前だった幕藩体制の立て直しに将軍徳川吉宗は享保の改革を断行します。その重要施策の一つが新田開発でした。大岡越前守忠相は御栗林の縁で知った川崎平右衛門に不毛の台地だった武蔵野の新田開発に当たらせました。平右衛門は現在の小金井市と鶴ヶ島市に陣屋を構え、独創的手法と農民との共同により新田開発を成功させました。その後、美濃国の治水に成功し、石見銀山を再興しますが、小金井時代の経験が生かされています。玉川上水の堤に植えた桜は名勝小金井桜として今に続いてます。
 しかし、小金井の桜と栗を知っていても創始者について知らない人が多く、平右衛門が活躍したご当地・小金井市での無関心ぶりを残念に思い、啓蒙活動をしておりました。平右衛門の活躍は大岡忠相との出会いから始まり、平右衛門の知恵と多くの人々の支え会いが事業を成功に導きました。平右衛門を知ってもらうには人々の生き様を描く演劇が最適と思っておりました。
 2010年3月、NPO現代座の木下美智子さんに平右衛門の演劇作りを打診し、4月に「川崎平右衛門プロジェクト」がスタートしました。平右衛門と郷土史の学習や史蹟の実地見聞などを積み重ねた成果が現代座によって演劇として結実し、2011年の小金井市立三小六十周年記念・朗読劇の上演、そしてこの度の演劇上演の運びとなりました。木村快氏のシナリオ作りの洞察力と情熱、皆様の演劇に対する直向きな取り組みに敬服を表します。
 現在の東日本大震災と原発事故、財政難は当時の状況に似ており、平右衛門に学ぶところがあります。今回の上演が平右衛門への関心の広がり、さらに平右衛門を活かした地域興しに発展することを願っております。
  

川崎平右衛門プロジェクト
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