小金井桜
 玉川上水の桜は、幕府の命により新田世話役川崎平右衛門が関家などの名主に命じて植えたものだ。その理由は、上水に毒が混入されても桜の木が変色、異変をしるためとか、この一帯の賑わいをもたらそうとしたためといわれているがはっきりとはわからない。
 現在の小金井橋を中心に、小平から武蔵野にかけておよそ六キロほどであった 。
 桜の名所と知られるようになったのは半世紀ほどたってからだ。寛政六年(1794)古川古松軒という地理学者が書いた『四神地名録』には梶野新田や関野新田付近の玉川上水に大樹が数百本もあり、土地の人は千本桜とよんでいると紹介している。
 特に小全井橋の両岸は、『江戸名所花暦』に紹介されたり、歌川広重『富士三十六景』といった浮世絵にも多く描かれ、小全井周辺は観光地として賑わった。
 嘉永年間には田無村名主・下田半兵衛によって大規模な補植が行われた。明治十八年(1883) には明治天皇が訪れた。その「行幸松」が海岸寺の山門前 、玉川上水遊歩道にある。
 桜博士として知られる三好学は、山桜大集植地としての沿革、樹形特性などを調査、「天然品種の植物群落」と評価して、大正十三年(1924)に小金井桜は国の名勝に指定された。
 
(織壁哲夫)